T37 『内申書の記載内容と生徒の思想・信条の自由』
最高裁昭和63年7月15日第二小法廷判決
(昭和57年(オ)第915号 損害賠償事件)
(判時1287号65頁、判タ675号59頁)
11年11月10日 S
【事実の概要】
高校進学を希望する生徒が、その内申書に構内で全共闘を名乗り機関紙を発行したこと、大学生の政治集会に参加したこと、学校側の指導説得を聞かずにビラまきを行ったこと等を記載され、そのことが理由で受験した高校すべてに不合格になったとして、国家賠償法による損害賠償を請求した。
【第一審】 東京地裁昭和54年3月2日 (判時921号)
「非合理的もしくは違法な理由もしくは基準に基づいて」なされた内申書の分類評定を生徒の「学習権を不当に侵害」する違法なものであると解し、「教育の目的が生徒の人格完成を目指し(教育基本法1条)、思想・信条により差別されるべきでない(同法3条)とされている事に鑑み」、「公立中学校において」、「「思想・信条の如何によって生徒を分類評定する」本件内申書作成行為は違法であるとし生徒の請求を認容した。
【第二審】 東京高裁昭和57年5月15日 (判時1041号)
「学習権」が「各人の能力に応じた分量制約を伴うものであ」る以上、「調査書が本人にとって・・・不利に働くこともある・・・のは事柄の性質上当然のことであ」るとしつつ、本件内申書の記載に懸かる生徒の諸行為を、「高等学校に対し、学校の指導を要するものとして」「知らしめ、もって入学選抜判定の資料とされる」ことは違法ではないとし、請求を斥けた。
【上告審】
「本件内申書記載は、上告人の思想・信条そのものを記載したものでないことは明らかであり、右の思想・信条を了知し得るものではないし、又、上告人の思想・信条自体を高等学校の入学者選抜の資料に供したものとは到底解することはできないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き採用できない」とし、上告棄却。
【論点】
* @思想及び良心の自由をどう捉えるか。
A当該記載がプライバシーの侵害に当たるか。
B当該行為は教育を受ける権利(学習権)の侵害に当たるか。
【判旨と学説】
@思想及び良心の自由をどう捉えるか。
判旨:上記参照。思想信条という内心を選抜の資料にしたのではなく、外部に現れた行為を資料にしたに過ぎない。
学説:外部的行為の記載は、内容中立的であるべきであり、思想信条が直ちに推測されるような記載の仕方は許されない。また、その意義をめぐって、広汎にその対象を捉える「内心説」と、その対象を人の内面的精神活動のうち、人格形成に役立つ内心の活動と理解する「信条説」とがある。
A当該記載がプライバシーの侵害に当たるか。
判旨:本件の開示は、入学者選抜に関係する特定小範囲の人に対するものであって、情報の公開には該当しないから、プライバシーの侵害に当たらない。
学説:プライバシーの侵害は、開示すべきでない情報が開示された段階で直ちに生ずるものであり、開示する相手の人数に依存する権利ではない。
B当該行為は教育を受ける権利(学習権)の侵害に当たるか。
判旨:上告審では黙殺(実体法上の権利として否定)。一方、第一審において学習権を認め、定式化した。
@ 調査書の記載が客観的に構成かつ平等にされるべき事に対応する生徒側の権利
A 高等学校に進学し教育を受ける権利
B 卒業式に出席する権利
学説:26条は、子どもの学習する固有の権利を保障したものであるとした場合、その教育内容を決定する主体、つまり教育権の所在に関して「国民の教育権説」と「国家の教育権説」の対立がある。
【類似判例】
@ 謝罪広告強制事件 最高裁昭和31・7・4(民集10巻7号785頁)
A 宴のあと事件 東京地裁昭和39・9・28(下民集15巻9号2317頁)
B 旭川学テ事件 最高裁昭和51・5・27(判例時報814号33頁)
【私見】
そもそも本件は、19条の法理のみに依拠し処理されるべきであったのだろうか疑問である。なるほど、最高裁判決の論旨に従えば、生徒の外部的諸行為を客観的事実として記載したのであり、思想信条を記載したのではない。また、それだけで、生徒の思想信条を了知し得るものではないとしているが、実際には思想信条は了知され、不合格となり、学習権は侵害されるにいたっている。この意味で、最高裁の判示は、独断的ではなかっただろうか。さらに26条への言及も期待されていたはずである。