U137 『所得税の課税最低限と生存権』―総評サラリーマン税金訴訟
最高裁平成元年二月七日小法廷判決
(昭和五八年(オ)第三〇〇号 所得税返還請求事件)
(判時一三一二号六九頁、判タ六九八号一二八頁)
平成11年10月25日 Y
【事実の概要】
Xら(原告・控訴人・上告人)は共働きの夫婦でありその間に3歳の幼児一人がいた。Xらは昭和46年中に合計約271万円の賃金収入を得たが、これに対し約15万円の所得税を源泉徴収手続により国に収納された。これにつき、Xらは右所得税の収納は違憲・無効な法律に基づいて行われたものであるから、法律上の原因を欠くとして国に対して右納税分にかかる不当利得の返還を請求した。
【第一審】 (東京地方裁判所昭和55年3月26日 判決)
Xの請求を棄却
【第二審】 (東京高等裁判所昭和57年12月6日 判決)
Xの請求を棄却
【上告理由】
@給与所得者につきその生活費を必要経費として控除することが認められていないため最低生活費に課税する結果となり憲法25条に反する。
【上告審】
@について「憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄があるといわなければならない・・・そうだとすると、上告人らは、前記所得税法中の給与所得に係る課税関係規定が著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ないゆえんを具体的に主張しなければならないというべきである。しかるに、本件の場合、上告人らは、もっぱら、そのいうところの昭和46年の課税最低限がいわゆる総評理論生計費を下まわることを主張するにすぎないが、右総評理論生計費は日本労働組合総評議会(総評)にとっての望ましい生活水準ないしは将来の達成目標にほかならず、これをもって「健康で文化的な最低限度の生活」を維持するための生活費の基準とすることができないことは原判決の判示するところであり、外に上告人らは前記諸規定が立法府の裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないゆえんを何ら具体的に主張していないから、憲法25条違反の主張は失当といわなければならない。」
・憲法25条に関する合憲性審査
「課税最低限が現実の生活条件を無視したことが一見して明白な場合」に違憲の問題が生ずるが、実際に課税最低限が憲法25条に違反するとされる可能性はほとんどない。
本件最高裁は、最高裁昭和57年7月7日判決(堀木訴訟)がとった「立法府の広い裁量」を許す立場をそのまま引用し、その広い立法裁量論によれば、問題となる立法が「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き」裁判所の審査は控えられることになるからである。
・生存権の自由権的側面
原告らは所得税法の定める給与所得の課税最低限は憲法25条の自由権的側面を侵害する違憲・無効なものであると主張している。
生存権の自由権的側面について学説は、「自由権的な生存権(生活権)は、近代的な憲法原則をもって処理できるものであり、あえて特別に憲法25条の生存権の問題とする必要はない」とする見解(奥平康弘)と、それに対して「ある権利侵害に対して憲法上の根拠をどれか一つに特定する必要はなく、また、生存権の自由権的側面においても、何が健康で文化的な最低限度の生活であり、その違憲審査基準をどう考えるかが問題になるのであるから、生存権の問題として捉えるのが妥当である」という見解(中村睦男)が対置されてきた。
具体的な問題としては、税法分野で、課税最低限の問題は、憲法25条の社会権の機能に関するのではなく、25条の自由権の機能に関するものであり、国家が税法において人々の健康にして文化的な最低生活をおびやかす程度の低い課税最低限を規定することは、ほかならぬ公権力自体が作為的に人々の生存的自由をおびやかすことを意味すると主張されてきた。(北野弘久)
本件では憲法25条について、「この規定は国家の積極的関与による生存権的基本権を保障した点に重要な意義を有するものである」とした上で、「同時に国家は国民自らの手による健康で文化的な最低限度の生活を維持することを阻害してはならないのであって、これを阻害する立法、処分等は憲法25条に違反して無効といわねばならない」と判示し、憲法25条の自由権的側面の法的効力を肯定した。(一審)