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U134 『生存権の性格』(朝日訴訟)

最高裁昭和42年5月24日大法廷判決
(昭和39年(行ツ)第14号 生活保護法による保護に
関する不服の申立に対する裁決取消請求事件)
(民集21巻5号1043頁、判時481号9頁)


10月25日 K 

<事実の概要>
 ・朝日茂〔原告、上告人〕 
  生活扶助・医療扶助を受ける(生活保護法)
 昭和31年7月・実兄が見つかる
 昭和31年8月・保護変更決定
 実兄より茂に月額1500円仕送り
 (600円・・・日用品費
 (900円・・・医療費一部自己負担
 昭和31年8月・保護変更決定に対する不服申立(朝日茂→県知事) 却下される
 続いて厚生大臣に対し不服申立を行うがこれも却下される(裁決昭和32年2月15日)
 昭和32年8月15日・東京地裁へ生活保護処分に関する裁決取消訴訟 勝訴 (注記参照)
 昭和38年11月4日・第2審判決 敗訴
 ・最高裁上告
 昭和39年2月14日・上告人死亡
 昭和42年5月24日・上告人死亡による訴訟終了の判決
(注記)
生活保護法において厚生大臣の定める生活扶助金額は憲法第25条で定める「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するものでなく仕送金の1500円のうち900円を医療費の一部自己負担金に繰り入れた保護変更は違法である。 


<生存権(25条1項)の性質に関する学説、判例>

プログラム説
 個々の国民に具体的な権利を保障したものでなく、国が積極的な政治を行う場合の目標・指針を示したものである。したがって国は法的な義務を負わない。

立法権利説
 生存権は法的な権利であり、国民は国に対して立法の要求をすることができ、国はその国民の立法要求に応えなくてはならない。従って立法が不存在である場合、この権利が法的権利であっても憲法25条を根拠に直接に具体的な請求をすることは不可能である。逆に立法がなされた場合には、この法律により賦与された具体的な権利の保障を裁判で争うことが可能となる。

具体的権利説
 25条は国民に具体的な請求権を保障したものと解する。国に生存権保障のための立法を要求できるとする点では立法権利説と同じであるが、立法が存在する場合でもそれが不十分であれば、その立法の違憲を主張しうるだけでなく立法が存在しない場合には立法部の不作為の違憲を主張しうる。



<判決内容>

 <第一審>
・生活保護法は憲法25条の生存権を現実化・具体化したものである。
・同法が定めている権利は保護請求権である。
・厚生大臣が定める保護基準の認定は覊束(きそく)行為である。
・最低限度の生活水準は、特定の国における特定の時点においては客観的に決定しうるものである。
                    →立法権利説


 <第二審>
・最低限度の生活水準がいかなるものであるかについては、固定的なものでなく、多数の不確定要素を総合して考えなくてはならず、本件保護基準は「すこぶる低額」であるが違法と断定できない。
                    →プログラム説


 <最終審>
・憲法25条1項所定の権利は「直接個々の国民に対して具体的な権利を付与したものではない。」
・具体的な権利としては生活保護法によりはじめて与えられる。
・生活保護法に基づく保護受給権は厚生大臣が定める基準により設定されるが、この保護基準の設定は何が「健康で文化的な最低限度の生活」であるかは抽象的相対的概念であるから、多数の不確定要素を綜合考慮してはじめて決定できる。この認定判断は、厚生大臣の合目的的な裁量に任されているから、その判断は当不当の問題として問われることがあっても違法の問題は生じない。
                    →プログラム説



<生存権(25条1項)に関する社会的動向>

・生存権に関する訴訟は少なく、最高裁はプログラム説が中心。

・年金支給年齢の延長(65歳より)、公的介護保険法の成立等、社会保障の領域において、行政主導の形で、25条1項の存在が薄れていくことが懸念される。



<私見>

 最近のフランスにおける年金給付年齢引き上げ反対運動や雇用拡大の為の週35時間労働運動等に見られる如く、生存権には国民各々がもっと直接に関与すべき類の権利である。
 歴史的風土、文化的な相違などにより、日本にはなかなか我が物にし難いと思えるが、基本的人権、社会権の一つとしての認識の上に立って生存権をもっと具体化する必要がある。


2004.7.18 upload / 7.20 update

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