T140 『学習指導要領の拘束力と教育の自由』―伝習館高校事件
最高裁平成2年1月18日第1小法廷判決
(昭和59年(行ツ)第46号行政処分取消訴訟事件)
(民集44巻7号1頁、判時1337号3頁)
1998.12.16 M
<事実の概要>
Y(福岡県教育委員会)は、1970年6月、県立伝習館高校の社会科担当教諭X1、X2、X3の3名を、地公法29条1項各号に該当する事実があるとして、それぞれ懲戒免職処分にした。同処分の主な理由は、(1)担当教科の授業で、所定の教科書を使用せず、(2)高等学校学習指導要領に定められた当該科目の目標・内容を逸脱した指導を行い、(3)生徒の成績評価に関して、所定の考査を実施せず、一律の評価を行ったことであり、これらの行為が職務上の義務に違反するというものであった。そこで、X1らは、教師には教科書使用義務はなく、また、学習指導要領は何ら法的拘束力を有しないから、懲戒処分は違法であるとして、その取消を求める訴えを提訴した。
<下級審>
第1審(福岡地判昭和53・7・28)、第2審(福岡高判昭和58・12・24)ともに、X1に対する処分には懲戒権者の裁量権の逸脱はないとして、X1の請求を棄却したが、X2、X3の請求については、同人らに対する各懲戒免職処分には懲戒権者の裁量権の逸脱があるとして、懲戒処分を取消した。
これに対し、X1が上告したのを[別件]とし、Yが上告したのを[本件]とする。
<上告理由>
[別件]―原判決の「本件学習指導要領は、・・・・普通教育である高等学校の教育内容及び方法についての基準を定めたもので、法規としての性質を有するものということができる」との判示は、憲法23条の解釈を誤るものであり、また、原判決は学校教育法51条により高等学校に準用される同法21条を根拠に教科書使用義務を肯定しているが、右の結論は教育基本法10条、憲法26条の精神に反し同条項の解釈を誤ったものである。
[本件]―教育関係法規に違反する授業をしたこと等を理由とする県立高等学校教諭に対する懲戒免職処分が懲戒権者の裁量権の範囲を逸脱したものとはいえない。
<上告審> [別件]―上告棄却 [本件]―原判決を破棄し、第一審判決を取り消す
[別件]―「高等学校学習指導要領(・・・)は法規としての性質を有するとした原審の判断は、正当として是認することができ、右学習指導要領の性質をそのように解することが憲法23条、26条に違反するものでないことは、[学テ判決]の趣旨とするところである。」
[本件]―国には、「教育の一定水準を維持しつつ、高等学校教育の目的達成に資するために、・・・・高等学校の教師に認められるべき裁量にもおのずから制約が存する」
「懲戒事由に該当するX2、X3の前記各行為は、・・・・明らかにその範囲を逸脱して、日常の教育のあり方を律する学校教育法の規定や学習指導要領の定め等に明白に違反するものである。」
「本件各懲戒処分を、社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいい難く、その裁量権の範囲を逸脱したもの」とはいえない。
<判例>
●学力テスト事件(最高裁昭和51年5月21日判決)
「必要かつ相当と認められる範囲において」国は、教育内容決定権を有する。ただし、この決定権は教育法学説が反映した制約・歯止めを前提とする。
○神戸税関事件(最高裁昭和52年12月20日判決)
「懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を乱用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである。」
<争点>
●学習指導要領
△行政解釈―「文部省告示」である学習指導要領は、法的拘束力を有する。
▽教育学説―
・教育課程に関する国の法規命令事項は「ごく大綱的な基準」に限られるので、指導要領は委任の限界を越え、法的拘束力をもちえず、指導助言文書としてのみ適法である。(大綱基準説)
・指導要領は、教育内容・方法に関する限り、指導・助言の効力しかもちえない。(外的教育条件説)
・学校教育法が立法化を予定しているのは、「学校制度的基準」をなす各学校段階の教育編成単位である教科目等の法定に他ならないので、指導要領は、助言指導的な基準としてのみ適法である。(学校制度的基準説)
●教師の教育の自由と国の教育内容決定権
<私見>
懲戒処分を受けた教諭らは、極端な教育実践を行い、校内に動揺をもたらしたということなので、その点については本件判決に賛成だが、その判決理由において、弱くはあるが、指導要領に法定拘束力を認めたことと、国に教育決定権を認めたことに関しては不安が残った。教師の役割には、学問の魅力というものをどれだけ生徒に伝えることができるか、ということも含んでいると思うのだが、それぞれの教師の学問に対する考え方は当然違っているので、もちろん教え方というものもそれぞれが異なる方法を実践したがるのは当然である。だがすべての教師が、自由な方法をとり成功するとは限らないのも事実で、そのために「助言指導的基準」の指導要領が必要となると思うのである(この理由で教育学説に賛成)。ただ、本判決において今後の学校での教育の実践が窮屈になることはないと解釈されてもいる。