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立憲主義と権力分立
(Constitutionalism and the Separation of Powers)
要 約
M.J.C.Ville
12章
立憲主義理論のモデル
(現代の政府研究者)
現代の政府に為された要求、その目的の複雑さは、新しい技術、手続、形式を要求する。すなわち、昔の理論と伝統的な思想の制度との関連は疑われ、一定の政府研究者が「科学的」アプローチを政治研究に採用した。その価値パターンと熱望は、表面上の分離を通じて現れている、また、彼らは、ロック、モンテスキュー、及びマジソンの申し子として正体をあらわす。
(権力分立教義、制限政府理論、議会政府理論)
というのは、権力分立教義の機能的カテゴリーは、緊密な関係を、法の支配、制限政府理論の本質的要素であった均衡の概念にもって、また、議会政府理論を基礎とする代表と責任の中心的思想は、全て私たちの理論上の機構の重要部分であり続けるからである。穏健な政府の理論、恣意的な支配からの自由の要求は、依然として私たちの要求でもある。また、19世紀の中流階級の熱望は、「調和的な」政治形態に向けて普通選挙権の条件において統合し効率的な政府を求めるしつこい追及に変質した。
(『プロセス』の概念)
これらの諸価値、正義、「民主主義」、効率に固執することは、私たちが憲法を考える上で、初期の論者が満足した古い機能上や構造上の概念がいまだ現代の政府を説明するのに適しているということを、示しているわけではない。先進西欧諸国の制度的発展における新しい傾向は、昔のカテゴリーには納まりづらいので、新しい概念が見出される必要がある。考慮されなければならないのは『プロセス』の概念である。「
(提案されるモデルの三つの要素)
(@)これらの三つの関連した機能、構造、及びプロセスについての観点から立憲制度にアプローチすること、また(A)どのようにそれらが相互依存し相互に影響するのか、及びどのようにそれらが一定の価値パターンに深く関連するのかを示すこと、そして(B)合憲性の性質が、機能、構造、及びプロセスのこの相互の浸透力にあることを強調すること。
(機能の概念)
立憲理論の歴史で、最もしつこく使われた概念が、機能の概念であり、そのルーツをギリシャ政治思想に見出す。それは、法の政府の思想の基礎であり、政府の各部を明瞭に示す目的のためにもっと使い古された分析手段である。また、多くの論者に無駄な概念として拒絶された。
(政府の「機能」についての思想)
政府の「機能」の性質は、相当な明瞭化を必要とする。政府権力の長い議論は、立法、執行、及び司法の諸機能について主として行われた。立法及び執行の諸権力、またはそれらの諸機能についての思想が出てきたこと自体は、政府の本質的性質の分析にほとんど関係なかったが、一定の機能領域の境界を画することによって、支配者を政府の特定の側面に規制し、それによってその権力の制限を行おうとする願いに多く関係していた。
(ガブリエル・アーモンドの機能的分析)
私たちは、『政治制度』の諸機能について、政府について以上に考えるであろう。この政治制度への強調は、最近の政府についての機能的分析の特徴、例えば「発展地域の政治」におけるガブリエル・アーモンド(G. Almond)の特徴である。彼は、政治制度の「インプット」機能を、政府の「アウトプット」機能と区別する。前者は、政治上の社会化と補充、利益の明瞭化と集合、および政治上のコミュニケーションを含む。後者は、ルール作成、ルール適用、及びルール裁定機能からなる。この使用は、政府の構造が「多機能的である」という事実を明らかにするのに役立っている。
(権力分立と政府構造の「多機能」)
純粋な権力分立教義は、政府の機能が、政府の各部門間で、どの部門も他の機能を常に行使する必要がないそのような方法で独自に分割され得る、ということを暗示している。実際の場で、機能のそのような分割は、決して達成されることがなく、また達成されることは望ましくない。政府構造の「多機能」は、機能の分割のいかなる試みも全く不可能であるということを呈示する。
(政府構造の「多機能」の例)
まず、裁判所について、事件を扱う裁判官は、コモンローの国においては、法を特定事例に適用し、適用されるべきルールの性質を「判断し」または決定し、同時に他の裁判所が従う先例を作り出している。『必然的に』三つの機能全てを行使する。次に、行政官について、政策−行政の二分の最も極端な理論家は、役人は政府の政治部門によって規定されたルールの実行に向けられた技術的技能を単に行使する、ということを提案する。しかし、役人は、その能力を濫用する意図なしに、必ずルールを作り、解釈し、適用する。これは委任立法や行政的司法の形式の事例に限らない.さらに行政活動は、相当程度一貫してパターン化した行動を要求し、行政機構は、この整合性を保証するルールと先例を生み出している。それらは原則、司法審査に従うので、裁判所のルールが権威があるという意味で「権威がある」わけではない。
(決心と実行)
権力分立の機能的カテゴリーについての誤解は、決心(willing)と実行(execution)という別々の活動があるという見解から生じた。しかし、政府のほとんどの作用は、あまりに複雑で、全体の流れを必要とするので、意思行為と実行行為に分割することは不可能である。同様に「政策」と「行政」の後の区別は、立法−執行の二分法を置き換えることを意図したが、失敗に終わっている。
(巡回中の警察官の行為)
ルール作成、ルール適用、ルール裁定の特定の政府機関への排他的配分は、不便なだけでなく、おそらく全く不可能であるということが分かる。例えば、巡回中の警察官は、ルールを適用するケースを決定し、それを適用する場合、彼の決定は上訴に従うが、適用『しない』と決定するとき、彼がそれを解釈するので、その解釈は、通常、最終的なものになる。彼は、彼の権限内では、他のルールの解釈によってルールを作り、それらを適用する。
(究極のルール作成権限)
政治制度の分析において私達が使う最初の思想は、ヒエラルキーの思想あるいは役割の構造である。そのため、たとえ裁判官と行政官もまたルールを作らな『ければならない』ということを認めたとしても、そのルールは、立法機関によって作られたルールに従属させられる。この究極のルール作成権限は、民主主義制度において、人々を代表した組織体に、また大衆のコントロールに最終的に従う憲法に委ねられている。西欧の立憲主義の歴史は、「立法機関」の究極の権限を維持する不断の圧力の歴史であった。
(裁判所の自由裁量と司法権の低下)
ルールは階層的な方式で手配され、それでテストされ得るとすることは、「上位」と「下位」の決定の関係で、裁判官の自由裁量が非常に大きいものであることを示す。連邦最高裁は、この自由裁量の行使において相当に成功し、多いに非難された政治的性格にもかかわらず、この機能を実行できる能力と威信を保持して来た。また、行政法の分野で、フランスの『コンセイユ・デタ(Conseil d'Etat)』は同様にうまくいった。
しかし、英国で際立った政府の傾向の一つが、継続した司法権の低下であった。この自由裁量を行使することの裁判所側の拒絶と、政府行為及び行政行為に進んで従う気持ちであった。この減退は、勇気の減退であり、党派政治の作用であった。第二次大戦後、行政に逆らった裁判所の決定が、迅速に、時として信じられないほど速やかに、議会によって取り消された多くの例がある。1965年の戦争損害法(War Damage Act)のケースはその極端なものである。
(法の支配)
私たちは、「法の支配」を、究極的に最終的な制定法上あるいは憲法上の権限に対してテストできるルールのヒエラルキーの意味で受け容れたとしても、これが単に形式の問題になるかもしれないという事実に直面しなければならない。合法性の外面の形式は保持されるが、政党のリーダーによって操られるかもしれない。さらに、手続が法を変更しあるいは新しい法を作る活力を保持する限り、また、チェックを官僚制や政治の長に及ぼす限り、権力濫用の危険は最小化される。
(ルール作成権力)
フランス、合衆国、イギリスのいずれでも「立法機関」は、もはや『排他的に』ルール作成または立法権力を行使していない。英国では、「議会の中の国王」は、形式的意味で法律を定めるが、下院は、単独あるいは「上」院と合同で活発に法を作ってはいない。「立法府の優位(Legislative supremacy)」は守られているが、立法の圧倒的な割合は、政府部門によって成文化され、大臣によって議会に提出され、下院ではほんのわずかの修正を為されるだけである。合衆国では、大統領の立法に向かう傾向が顕著であるが、それは英国におけるのと同様には発展しなかった。英国とアメリカの政治制度の最も重要な違いは、英国では、提案された立法についての協議が議会への提出『の前に』ほとんど排他的に起こるが、アメリカでは依然として議会『内で』起こるということである。第五共和政のフランスでは、「立法機関」以外で作られるルールの必要が、憲法上のルール作成権力の政府への付与によって認識されていた。
(英国におけるルール作成)
どのようにルールが英国で『作られ』ているかを説明するには、大臣と公務員が様々な人々の組織体であるということ、大臣と議員との間に権力の分割、利益の分割があることを考慮しなければならない。さらに、野党の存在、次期選挙の念頭に公衆にアピールすることは、利益団体、有権者、下院でのそれ自体の支持者を説得する試みである。政治問題は、主に、立法機関への提出前に、政党内、各部門内、政治自体の内で、または内閣の中であるいは主唱と数人の側近の間で、解消されてきた。また、役人を下院議員の地位から排除するルールがある。かくして、大臣、公務員、及び下院が、ルール作成権力を『共有する』。さらに、これは、法によって三つの別個であるが重複している集団に分化された人々の組織体であり、二大政党制で、単独政党あるいはそのリーダーのルール作成機能の行使に限界を置いている。この意味において、「部分的な権力分立」は、いまだ今日、英国の政府制度の中心原則である。
(内部的ルール)
英国におけるルール作成権力の機能的な見解にいくらかの基礎を保証する法的ルールがあるが、この形式上のルールは、行動についての規定によらない法律外のルールによって支持される必要がある。裁判官の『下位の』ルール作成機能が議会に従属し、役人の諸政策が制定法の意図に支配されるが、職業的忠誠、または誠実、一定の「機能」が大臣、裁判官及び行政官の関心であるという認識は、その本質的要素である。利害関係集団に『内部的で』ある一定の行動のルールは、法のよって課せられた外部的ルールと同じくらい本質的である。この実例は、英国の大法官の職務に見出せる。
(アメリカとイギリスの比較)
合衆国では、意図されるルールのより堅固な適用は、ルールを作る人、適用する人、ルールを解釈する人の間の区別を保持するため、相当な困難を政府制度の働きにおいて生み出している。英国では、政府の人員の部分的な分立は、政治家と役人の行動を制御する内部ルールによって補強され、支持されて来た。この比較の主要なポイントは、行動の形式上のルールと内部コードが、一部では代案であり、一部では不可欠の対応物であるかもしれないということである。
(政治制度の二つのレベル)
第一レベルは、政府と市民または他の政府との関係に関わる。第二レベルは、政府各部の内部関係の問題である。これら二つのレベルは、決して不連続ではなく、その境界を実際に正確に叙述することは難しい。
(第一レベル)
四つの主要なレベル、ルール作成、自由裁量、ルール適用、ルール解釈がある。三つから成る政府機能の定式化は、特権的なあるいは自由裁量的な権力の余地を全く残していない、そして、極端な権力分立理論の歴史上の適用においては「法の支配」があまりに強く主張されたので、いかなる自由裁量も政府に残されなかった。しかし、今日、民主的な英国において、国王の特権的権力の重要性は、特に外交、防衛問題、外国人のコントロール、内部的秩序の分野で依然として認められている。また、ジェファーソンが大統領の「大権」について述べている。ただ、自由裁量権力の重要性をすぐに認めた。
(ルール裁決)
アーモンドは、『ルール裁決(rule-adjudication)』という用語を、昔の『司法権』の代わりに用いている。この問題は、司法権が明確かつ別個の権力であるかどうか、また、執行権の一部を形成するか、の不断の問答からなっている。一方で、司法が法を役人と平等に、しかし、異なった手続で『適用する』ということが主張されたが、他方では、裁判官の特有の機能は、論争を判決することであるのに対し、役人は単に「執行する」ということが主張された。モンテスキューは、「裁判する権利」をそのように記した。
(司法手続)
裁判所は法を適用するが、それらは特別の方法で、特別の手続を通じて行なう。陪審の組織は、法の適用のおける一定の諸価値を守っている特別の手続上の方法である。国王の「裁判所」の緩やかな発展は、全ての業務が司法の中で扱われてきた地位から、「分業(division of labour)」と「専門化(specialization)」を含む地位への動きと考えられる。
(ルール適用機能とルール解釈機能)
裁判所は、ルール適用機能を行政官と違う方法で実行する。また、法が何であるかを『権威をもって』述べる機能をも実行する。たとえルールの意味に疑いが差し挟まれても、裁判官は拘束力ある解釈をしなければならない。解釈は、どんなルールの適用において不可欠のステップであり、警察官、検察官、役人によっても、その任務のあらゆる段階で実行される。その解釈と裁判官の解釈との違いは、司法解釈として有すべき権威ある特性である。
(裁判官の独立)
司法手続は、二つの主要な方法における法の適用を包含し、その方法は、公務員のそれとは違う。すなわち、(@)諸事実は特別な手続によって確かめられる、(A)法令は権威ある方法で公示される。そして、裁判官の独立を求める主張は、ルール解釈をする中で、影響を受ける人々の見解に適合するように、裁判官にルールの意味を変えさせる圧力にさらされるべきではないということ、及び「事実」を確かめる中で、裁判官が便宜的な考慮によって影響されないということである。裁判官の独立は、立憲主義の各であるルールの安定性及び予測可能性の維持における必須の要素である。
(政府機能と権力分立)
政府の主要な機能は、ルール作成、自由裁量、ルール適用、及び権威あるルール解釈として要約できる。そして、純粋な権力分立教義が要求する徹底的な機能の分立は、不可能である(仮に可能でも不適当である)にもかかわらず、権力分立教義とその関連した立憲理論全体の歴史は、政府機能の手続の完全な分立、あるいは完全な融合のいずれも、政府権力の効果的でコントロールされた使用を望む人々には容認できないという事実を示している。
(第二レベル)
立憲国家の政治制度の機能は、第二レベルでは、伝統的な機能的カテゴリーとは一層異なる。このレベルでは、『コントロール』と『調整』に注意が集中していた。数世紀前、コントロール機能に大きな強調が置かれ、混合政府、権力分立、均衡憲法、抑制と均衡は、この機能の履行を確保するために考案された。しかし、均衡憲法理論、及びその派生物は、政府各部の均衡によって得た権力への『内部的』チェックの概念を具現化した一方で、純粋な権力分立のより民主的な表現は、人民による様々な政府各部の『外部的』コントロールを求めた。必要と考えられたのは、政府を弱め、公正を確保するため政府を分割することであった、しかし、全てを直接的な大衆のコントロールに服従させることではなかった。
(コントロールと選挙制度)
普通選挙及び自由選挙の確立は、政府のコントロールについての精巧な思想を求める必要を取り除くのだろうか?特定の選挙制度における技術的欠陥を別として、完全に民主的な選挙制度に信頼を置くことはまれである。英国では、完全な比例代表制に反対する政党全ての主張は、「民主主義」は考慮すべき極めて重要なものであるが、諸価値の一つに過ぎない。また、強力かつ効果的で安定した政府を求めるニーズもある。さらに政府は、大衆のコントロールからある程度の独立を持たなければならない。選挙制度は、政府の単一性と効率性を壊す。そのため、選挙制度が民主主義制度におけるコントロールの唯一の手段ではないことは明らかである。
(政党(1))
政党は、大衆社会において政府機構の本質的部分であり、また、民主主義社会におけるコントロールの必要条件である。十分に「効率的な」選挙制度を持つことを求めない主張は、効率的な政党制度を持つことを求める主張の裏返しである。
(政党(2))
政党制度は、選挙制度同様、決して政府のコントロールによって完全な手段ではない。しかし、政党制度と比較すれば、選挙制度は、大衆コントロールの極めて中立的な手段である。政党は、選挙民と政府を『つなぐ』だけでなく、選挙民と政府の間に入り、部分的な(sectional)目的を達成するために政府の権限を用いる。政党におけるリーダーシップと寡頭政についての研究は、政党がコントロールというよりむしろ権力の濫用のための最も効果的な手段になりうることを示している。
(利益集団、圧力団体)
利益集団または圧力団体についての主張は、基本的に政党と同じである。代表的で有益な役割を通じ、それらは、本質的なコントロール機能を実行するが、そのメンバーシップと目的の部分的な性質は、それらをコントロールの手段として非常に疑わしくする。
(プレス)
コントロール機能を実行する現代国家における他の重要な構造として、プレスがある。それは、最広義で、ラジオ、テレビであるが、政党や団体のように情報の配布と意見の照合と表現に必要である。それらが、政府決定の定式化に及ぼす影響は疑いなく大きく重要であるが、このコントロールの手段は両刃の性質を持っている。公営ならば、報道機関は政府を支配する特定の政党や集団の機関になるし、民営であれば、これらのメディアは、決して単に意見の表現のためではなく、集団または個人によってそのその意見を具体化するために用いられる。
(政府機関のコントロールの必要性)
普通選挙権の到来が、政府機関のコントロールの必要性を取り去ったという主張は確かに容認できない。そこでは、政府をコントロールする新しく強力な方法が成長してきたが、それは中立的な手段ではなく、それ自体コントロールが必要である組織である。マジソンは、「もし人々が天使であるなら、どんな政府も必要ではないかもしれない。もし天使が人々を統治することになっているなら、政府への外部あるいは内部のコントロールのいずれも必要ではないであろう。」と述べたが、これは、今世紀において、ある程度の政府コントロールを、政党、圧力団体、及び報道機関に確立しようとする運動によってますます確認されている。
(『調整』の機能(1))
政治制度の第二レベルには、『調整』の機能がある。この機能は、政府が社会によって設定された目的の達成に向けて、効果的で、首尾一貫した方法で働くことを保証している機能である。この概念をコントロールの概念に組み込むことによって、消極的な特質をコントロールの概念から取り除き、新しいコントロールの概念を積極的な目的を持って練り上げた。コントロールと調整の対概念は、その潜在的に矛盾したねらいとともに、社会での目的の単一性について押付けられた見解以上に有益である。
(『調整』の機能(2))
調整の機能は、20世紀の政治制度の機能として『一段とすぐれて(par excellence)』説明され得る。新しい目的への政府の関心は、調整の機能を、現代社会の目的を達成するために必須の機能にし、しばしば主要な機能的メカニズムを、目的達成のための単なる道具に変えた。この機能は、主として、政党によって、また、今世紀に成長した専門的なメカニズムである委員会と事務局(secretariat)をもつ大統領行政府と現代の英国の内閣制度によって、実行された。
(「人民」)
政府各部間の単一性を確保する機能を行使しなければならないのは、「人民」であるという見解は、全く非現実的である。「人民」は選挙機構を通じて、政府のために目標を設定する、しかし、その目標は政党によって彼らのために「組み立てられる」、そして、この政党プログラムはほとんど一貫性を持たない。
(コントロールと調整の機能の均衡(1))
コントロールと調整の機能の間で採られる様々な均衡は、今日、アメリカと英国の政府制度間の本質的違いを構成している。アメリカの自信が国家の増大につれて大きくなると、より大きな要求が調整を求め、その結果、コントロールへの強調はより小さくなる。英国において、危険であるのは、調整を強調することが、効果的なコントロールが完全に消える点になされるということである。
(コントロールと調整の機能の均衡(2))
重要であるのは、特定の構造は、両機能の性能を結合するべきであるということ、及びその単一の構造も、ただそれらの一方または他方に責任があるはずであるということである。
(機能的分析)
以上の機能的分析は、西欧の立憲思想と組織の意味を説明し、引き出す試みを代表していた。さらに、この機能的分析は、重要であるが、『一見したところ(prema facie)』、実際の組織または構造についてあまりたくさん述べるはずがない。
(制度的展開)
一般に19世紀終わりまでの西欧の組織の歴史を、政府の三部門への緩やかな発展と特徴付けることは、正しい。今世紀において、この発展は止まったように見える、また、むしろ制度的展開は、新しくより複雑なパターンを呈していた。ダールによれば、この展開は、分業(division of labour)の問題であり、権力分立とは全く無関係であった。
(ヒエラルキーとコレギウム)
制度的発展及び機能へのその関係に含まれる要因を呈示するために、組織の基礎単位を見ることから始める。どんな組織上の構造も、二つの要素、ヒエラルキーとコレギウムによって構成されている。ヒエラルキーは、軍隊の連隊組織に最も良く代表される。コレギウムは、統括役員を除いて、組織がその性質において全く対等で完全に民主的である。オックスフォード大学の統治母体、原型の西欧の議会がその例である。ほとんどの組織は、ヒエラルキー的要素とコレギウム的要素の組み合わせであり、多くの変形と組み合わせを持つ。
これら二つの基本的な構造は、組織構造の柱として存在し、非常に異なる特徴を具体的に示している。ヒエラルキー的構造は、その主要な特徴として、権威ある指揮系統、単一性、及び迅速さを有しているのに対し、コレギウム的構造は、決定を妨げるかもしれない見解を分けた長い討論を含み、またほとんど必然的に解決策を妥協するように導く。さらに、非常に異なった代表の可能性を具体的に示す。
西欧の政治制度の日々の作用は、これら二つの組織上のタイプの間の緊張、一方と他方の諸価値の間の継続的な選択、ヒエラルキーの速度と効率性をコレギウムから獲得する情報と同意に結び付けようとする試みに関して見られる。
(組織構造間の緊張)
二つのタイプの組織構造間に固有の緊張があり、どのように修正されても、決して完全に取り除かれない。
(政府各部門の発展)
主要な政府各部門の進歩的な発展が、様々な価値パターンの間で展開する論争として、また政府機能について展開する構想の結果として、見られるはずである。すなわち、仮にこれらの組織上の分類が、法の支配の思想と結びついて発展しなかったとしても、効果的な決定をすることの間での論争は、人間の組織構造の性質に組み込まれる。実際、これら二つの要素は、同時に起きる重要な内容である。すなわち、コレギウムの組織と一般ルールの作成は、『演繹的に(a priori)』密接に関係付けられ、ヒエラルキーの組織と法適用は、互いにうまく適合している。
この結び付きこそが、組織的な構造、機能と諸価値の間で、たとえどんなにそれを精密にすることが難しくとも、権力分立であり、私たちが歴史を通して見付けた不滅も特質である。かくして、「立法機関(legisrature)」は、権力分立理論における「立法権」と結び付けられているが、その代表的性質は、それがその任務全て、例えば財政のコントロール、行政的監視、不平の救済、及びたとえ立法行為が含まれていなくとも一般的意義の問題の討議、に結び付けられている。「国会(parliament)」という古い用語は、この組織の性質をより現代的な「立法機関」以上にうまく表現している。
(司法組織と二つの組織類型の結び付き)
司法組織の構造は、単純な機能的分類の中にきちんと納まるようには思えない。司法制度は、組織構造についての手続の影響のインパクトの中で最も明確な指示である。これは、一定の諸価値が、一定タイプの政府の任務の履行において、便宜または速度を犠牲にして、優先権を与えられることを保証する決意の表明である。それは、様々なタイプの組織の諸価値を、特定の目的を達成するために、結合する意識的な努力を表している。
歴史上、イギリスの組織は、常に二つのタイプの組織の結合であった。すなわち、議会の中の国王(King in Council)、枢密院に諮問して行動する国王(King in Council)である。そして、そのヒエラルキーの原則とコレギウムの原則の間の緊張は、英国憲法の歴史の大きなテーマである。この二つの基本的組織類型の衝突が、西欧の立憲的発達の支配的特色となったが、おそらく最も興味深く、最もうまくいった発展は、両極の利点(もちろん不利な点も)結び付けた新しい構造を作り出す試みであった。それは、国王の裁判官と人民の陪審の結合による司法制度の発展、専制君主政と長期議会の理想的タイプを具現化した議会制度である。
(過去80年の政府組織の検討)
19世紀後半及び今世紀は、この完全な均衡と完全な調和の夢の破綻を見てきた。20世紀半ばは、議会政治制度のその調和を新しい形に置き換え、この現在の緊張への答えを発展させようと試みてきた。これを理解するためには、過去80年の政府組織の主要な傾向を見なければならない。
(ヒエラルキーの原則の再登場)
20世紀は、政府組織における支配的地位へのヒエラルキーの原則の再登場を見てきた。英国では、内閣は、下院をリードし支配するに、同じ立場から登ってきた、そして、首相の権力の増大は、権力と威信で閣僚のはるか上に首相を引き上げた。極端なところでは「首相による政府」と呼んでいる。イギリスの制度は、二、三の側近によって支えられ、大臣に指示し、国会をコントロールする首相として描かれ、内閣の委員会と小委員会の全体のヒエラルキーを通じ行政機構の把握を維持している、すなわち、実際は、選挙による君主政である。これは、調整についての強調を、また委員会や集会よりむしろ単独の人間のスピード、敏速さ、及び比較的有目的な活動を、求めるより大きな要求の結果である。
今世紀の合衆国、及びフランス第五共和制憲法における大統領の権力の並外れた増大は、同様の傾向を示している。
(独立規制委員会)
政府構造の分裂が、ヒエラルキーの原則の増大する重要性と戦う試み、及びその力を修正する試みの中にあった。これは、ほとんど合衆国において特徴付けられ、独立の規制委員会の展開が、行政の大部分を大統領の直接コントロールから取り上げた。合衆国におけるこれらの独立または半独立の機関の幅広い使用は、コントロール機能に置かれた強調を説明している。それは、議会権力の相対的な低下に対するほとんど自動的な反応であった。
(助言及び諮問委員会)
ヒエラルキーに外部的チェックを課すことによってそれを挫こうとする代わりに、その活動上に内部的規制を立て、また、ヒエラルキーとコレギウムの形式の新しい結び付きを生み出す傾向が増大した。助言および諮問委員会で、正式に利害関係人に協議を実行することは、重要な決定がなされる前に、事実上、憲法の新しい「会議」の一つのなった。1962年に、合成機関を民主化するこの試みは、重要な段階をさらに進め、全国経済発展会議(? National Economic Development Council)の創出に至った。この種の発展は、フランスにおいて一層進んだ。メンデス-フランス(M. Mendes-France(1907-82)、フランスの政治家)が提案した。
(行政裁判所、準司法)
行政に代表構造を吹き込み、単一構造『の範囲内で』迅速な政府と代表コントロールのある種の均衡を見つける試みがあった。同時に、行政手続に公正さとデュープロセスの司法上の価値を吹き込む試みもあった。行政裁判所の増大、「準司法」手続の使用は、政府活動のスピードと効率性を破壊せずに個人の所利益に適当な重きを置く試みを表している。二つの要素からなる試みが、コレギウムの組織及び司法手続を、まさしく行政自体の構造の中に作り上げることによって、外部のチェックをそれに及ぼすよりヒエラルキーの形式を薄めようとした。これは、効果的なコントロール機構の履行を求める欲求の反映であるが、ヒエラルキーの形式の組織の利点を維持する決意をも表している。
(行政裁判所審議会、議会の委員)
これらの試みの中のコントロール機能への不満は、若干の独立した監督を行政裁判所にするために行政裁判所審議会(Council on Tribunal)を作り出したし、行政のコントロールをより効果的にする議会改革を求める要求に至った、また、苦情を調査する議会の委員(コミッショナー)を求める提案に至った。かくして、大臣及び役人のヒエラルキーに適用されるより効果的な外部チェックを求める要求の復活があった。
(「プロセス」)
「プロセス」は、「機能」と同じくらい政治研究の文献で多くの意味を持っている用語であり、しばしば現代的で最新であるとの印象を単に与えるために使用されている。「プロセス」は、政治活動全体の複雑さとの関係を、単なる形式的要素との関係以上に強調しているという意味で価値を持っている。特に政治研究において動的な要素の重要性に注意を向けることができる。A.F. ベントレーは、政治において全てが動きであり、全てが不安定であるということを単に意味するために『プロセス』を使用した。
(プロセスの概念)
プロセスの概念が政治学において何かを意味しているなら、それは全てが流動的であるということを意味してはいない。しかし、それは、どのように出来事がA点からB点に動くのか、どのようにある期間の終わりの状況がその始めの状況から異なるが明らかに関係しているか、についての問題に焦点を合わせるのを助ける。政治制度の性質を議論するときは、時間の連続を考慮に入れるべきである。また、どのように人々が書きの行動パターンに関連してふるまっているかに関心を持たなければならない。
(プロセスとルール)
政治的行動の複合全体を政治的なプロセスと考えるなら、それは、政治に同一の広がりを持つことになる。「プロセス」は本当に冗長になる。しかし、政治制度の研究を多くの領域に分類する限り、立法上のプロセスの思想は、安定し、継続する活動のいくらかの組合わせを伝える。安定した制度パターンは、人々の行動に暗示され、あるいは形式上の憲法または法律上のルールに明示され、あるいは「慣例」や慣習として説明されるかもしれない一連のルールについて、作用するであろうし、作用しなければならない。さらに、実際に起きたことは、古いルールと、異なるが通常明らかに関係している新しいルールが作用しているということである。
(手続)
全ての政治的なプロセスの中心には、手続があるに違いない。手続は、まさにこれらのルールの別名であるが、制度上のパターンの蒸留物(distillation)であり、また、不変の厳格なルールのまとまりではないが、それ自体の修正のための規定を含んでいる教えの柔軟な組織体である。
(機能、組織と手続の間の相互関係)
立憲国家の諸部分及びそれらが採用する手続の一般的な明瞭化において、顕著な安定性が存在する点に、機能、組織と手続の間のいくらかの相互関係を見ることができる。
(機能上の特徴と手続の数)
第一に、立憲国家の機能上の特徴は、手続の数に大きな影響を及ぼす。行為を支配するルールが明確で定式化されていることを確保する継続的な圧力は、必然的に唯一の最終的な権限の源、及びその正当性を審査する手続を持ったヒエラルキーのルール制度に向かう傾向がある。調整とコントロールの均衡を求める要求は、必然的に限られた数の構造と手続に至るであろう。
(ルールと価値パターン)
第二に、あまり強調されるはずがないのは、手続、行動を支配するルールが一定の価値パターンを反映することである。
(三つの支配的価値と社会正義)
手続は、全ての政治プロセスの駐印及び核心を形成するが、特定の社会の価値パターンについての制度上の表現と考えられ得る。これらの価値パターンは、極めて複雑であるが、現代の三つの主要な政府の手続の発展は、西欧世界の三つの支配的価値−−効率性、民主主義、正義に結びついて重要性を反映した。しかし、過去一〇〇年を越えて、これらに従属しなかった新しい価値―社会正義を明らかにした。社会正義との関係こそが、初期の三つの政府機能と機関を分離させ、現代の政府に新しい次元を加えた。効率、民主主義、正義の三つの価値は、もちろん鋭い矛盾に入ったが、この矛盾は制度化され、コントロールされた、またこの矛盾こそが根本的な衝撃を権力分立の概念に与えたものであった。かくして、機能的意図、組織構造、及び手続における暗黙の諸価値は、ある意味をこの立憲原則に与えるために結合した。
(社会正義の増大する重要性)
20世紀に起こった政府構造の分裂は、社会正義の目的が、古代において秩序維持、戦争、外交、必需品の扱いにほとんど排他的に関わっていた同じ機構を通じて達成されなければならないという事実に起因していた。また、それは、首魁正義の達成が、新しい商品とサービスの配布以上のものを意味していたからである。それは、完全雇用を確保する経済のコントロール、農民と賃金労働者の収入を確保する試み、独占権のコントロール、一定レベルの公費の維持、支払いの均衡のコントロールなどを意味していた。これらの目的を達成するために求められた手段は、昔の諸価値にまたがっている、また、それは、民主的コントロール及び司法手続において確立し、過去よりはるかに多くの政府活動の調整を要求した。
(政党と社会正義の価値)
現代の大衆に基礎を置いた政党の興隆は、社会正義の価値についての強調に密接に結びついている。実際、20世紀の政党は、初期に代議員議会がそれを通じ民主主義を実現したように、それを通じてこの価値を実現した構造である。新しい政府の調整機関の創出を確保することによって、政党は『特に優れた』政府構造になった。政党のプロセスは、選挙、立法、及び執行のプロセス、その上、司法のプロセスを含むようになってきた。この新しい価値とその実現を保証する構造の出現は、「権力分立」についてのどんな手軽な見解もすたれていることを意味しているに違いない。
(社会正義の強調)
一つの価値、社会正義、及びそれが伴う機能と構造についての強調は、古い時代の欠点の現実化がこの点で非常に強烈に成ったある機関において非常に大きかったはずであるのは当然である。18世紀末の革命状況での「民主主義」に結びついた重要性は、代議員議会の権力への極端な強調を導いた。
(諸価値の調和と政治制度)
1960年代半ばにおいて社会正義が完全に英国または合衆国で達成されたと述べられるはずはない。私たちは、立ち止まり、古いものと新しい価値の調和に再び転換しなければならない。政治制度は、これらの要求に合致し、諸価値及びそれらの機能上かつ構造上の要件に応えるであろうが、古い構造と手続を新しいものと調和させることを試みなければならない。20世紀の政治理論家の任務は、諸価値の正しい相関関係に置き、調和できる制度上の手段を提案することである。
2004.7.28 upload
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