Reno v. ALCU, 117 S.Ct. 2329 (1997)
レノ対アメリカ自由人権協会
(Part2)
・・・・(117 S.Ct.2329に戻る。)
「(a)平均人が、現代のコミュニティ・スタンダードを適用して、その作品が、全体として捉えた場合、みだらな関心(好色な興味:prurient intrest)に訴えるかどうか、
(b)その作品が、明らかに不快な方法で、特に適用可能な州法によって定義された性行為を、描写あるいは説明しているかどうか、
(c)その作品が、全体として捉えた場合、重要な文学的、芸術的、政治的、あるいは科学的価値を欠いているかどうか。」前掲24頁(中のコーテーションマーク及び引用省略)
CDAの「明らかに不快な」の基準(及び私たちは、議論の上では、その同意語「下品な」の基準を)は、三つの枝である、ミラー・テストの政府の理由付けの一部であるので、それが違憲的にあいまいであるはずはない。
政府の主張は、事実の問題として誤っている。
ミラー・テストの二番目の枝は−−意図的に(purportedly)類似の基準は−−CDAから省略された不可欠の要件を含んでいる。すなわち「適用可能な州法によって特に定義され」た素材を禁止するという要件を含んでいる。
この要件は、CDAにおいて使われている公開の目的である用語「明らかに不快な」に固有のあいまいさを、減じている。
さらに、ミラー定義は「性行為」に限定されている。それに対して、CDAもまた(1)「排泄活動」を、(2)性的及び排泄の性質両方の「器官」と同様に含めている。
政府の理由付けは、欠点もある。
まさに、3つの限定を含んでいる定義が、あいまいであるので、それは、その限定の一つがそれ自体で立てているが、あいまいでないということに従うことはない。[註38]
ミラー(テスト)の二つの追加的な枝のそれぞれは、−−
(1)それは、全体として捉えれたとき、その素材が「みだらな(purient)」興味に訴えるということ
(2)それが「重要な文学上、芸術上、政治上、あるいは、科学上の価値を欠いている」ということは、−−
わいせつ性の定義の不確かな一掃(sweep)をきわどく制限している。
第二要件は、特に重要である。なぜなら、「明らかに不快な」や「みだらな興味」の規準と違って、それは、現代のコミュニティ・スタンダードによって判断されないからである。参照、Pope v. Illionis, 481 U.S. 497,500 (1987)
この「社会の(societal)価値」の要件は、CDAに欠けており、上告裁判所に、法律問題として、社会的に償う価値のため、全国的な下限(floor)を設定することによって、その定義上に若干の制限及び調和(regularity)を課すことを許している。
政府側の論点は、裁判所がCDAの基準にそのような法的制限を与えるものであるが、ミラー(判決)自体の理論によって、信じられている。それは、素材がコミュニティ・スタンダードによって「明らかに不快である」かどうかを陪審に決めさせるための理論である。すなわち、そのような問題点は、本質的に事実問題である。[註39]
ミラー(事件)や我々の他の先例と対照して、CDAは、そうして、その法令の範囲の外側に落ち着くような言論を検閲することよりのより大きな脅威をあらわしている。
その法令の包括範囲のあいまいな外形が与えられるならば、それは、疑いなく、そのメッセージが憲法上の保護の資格を与えられるであろう若干の発言者を沈黙させる。
その危険は、次の理由を、その法令が過度に(overly)幅広くはないと主張するために、与える。
私たちは、以下のことを納得させられた(主張された:persuad )。すなわち、CDAは、ある法令が言論内容を規制する時、第一修正が要求する条項を欠いているということである。
未成年者に潜在的に有害な言論へのアクセスを拒否するために、CDAは効果的に、成人が受け取り、そして、他人に向ける(adress)憲法上の権利を持っている大量の言論を抑圧している。
成人の言論上のその負担は、受け入れ難いものである。もし、より制限的でない代替手段が、その法令が提供するために施行された立法目的を達成することにおいて、少なくとも効果的であるならば。
成人の自由言論の権利を評価することにおいて、私たちは、以下のことを完全に明らかにしてきた。すなわち「わいせつではないが下品な性的表現は(下品な性的表現は、わいせつなものを除いて)、第一修正によって保護されている。」Sable 492 U.S. at 126.
また参照せよ。Carey v. Population Services Int'l, 431 U.S. 678, 701 (1977)(「わいせつが含まれている場合、私たちは、以下のことを一貫して判決してきた。すなわち、保護された言論が誰かに不快であるかもしれないという事実は、その抑圧を正当化するものではない。」
実際、パシフィカ(事件)自体は、以下のことを戒めた。すなわち「社会が言論を不快であると認めるかもしれない事実は、それを抑圧することの十分な理由ではない。」438 U.S. at 745
以下のことは真実である。すなわち、私たちは、子供を有害な素材から保護することにおける政府利益を繰り返し確認してきた。参照、Ginsberg, 390 U.S. at 639 ; Pacifica, 438 U.S. at 749
しかし、その利益は、成人にあてた言論についての不自然に広汎な抑圧を正当化してはいない。私たちが説明してきたように、政府は「子供に適うもののみ・・・に・・・成人人口を減らす」ことはできない。Denver 518 U.S. at___(slip op.,at 19)(うちのクォーテーション・マーク省略)(Sable 492 U.S. at 128を引用)[註40]
子供保護における「政府利益の強さにかかわらず」「単に郵便箱に到達する演説(discourse)のレベルは、sandboxに適合できるであろうものに限定されるはずはない。」Bolger v. Young Drug Products Corp, 463 U.S. 60, 74,75 (1983)
地裁は、以下のように結論するように修正した。すなわち、CDAは、Sable 929 F.Supp.,at 854において、無効になった「ダイヤル・ア・ホーン」の禁止に実際よく似ている。
Sable 492 U.S. at 129において、当裁判所は、以下の主張を拒否した。すなわち、私たちは全面禁止より進取の若者(enterprising youngsters)が下品な通信へのアクセスを得ることを防ぐことにおいて効果的でないものは何もないという、議会の判断に従うべきである、という主張を拒絶した。
セイブル(判決)は、そうして、以下のことを明らかにした。すなわち、法令による言論規制は、子供が性的にあからさまな素材にさらされることから保護するという重要な目的のため施行されたという単なる事実が、その正当性(validity)への審問(inquiry)を排除してはいないということを明らかにした。[註41]
私たちが、前開廷期に指摘したように、その審問(inquiry)は「over arching commitment」を以下のことを確かにするために具体化している。すなわち、議会は、その法令を「言論上の不自然さに大きな規制を課すことなしに」その目的を達成するために計画してきたということである。Denver, 518 U.S. at__(slip op., at 11)
以下、現在翻訳中
日本語訳 2000年9月11日 T.Mizuno